「性愛」格差論―萌えとモテの間で
『負け犬』をつくったエッセイストと、『ひきこもり』を世に広めた精神科医の対談集。おたく、腐女子、ヤンキーといった部族の現状を考察する。
ほんとは(男の)おたくと腐女子の現状分析と今後どうなるのか?どうしたらよいのか?を対談で導き出したいようです。結論としては「性愛」によってつがいになろうよ。ということなのだろうけど理解できない。本田透の恋愛資本主義を意識しているようで、そこで生まれた格差によって追いつめられたおたくと、参加を拒否した腐女子が性愛、つまりエロ目的でつがいになるという、動物本能だよりな話です。それしか恋愛格差を超える可能性がないらしい。
「恋愛」に失望したり恐怖した者がおたくや腐女子になるのだとしたら、字面を変えただけのような「性愛」で、趣味はそのままでイイよと云われたとしても、つがいにはなれないだろう。本田透の「妄想の世界で一生孤独に暮らせ」という主張も極端だけど、本能頼みのつがい推進もトキの繁殖並みに難しいと思う。
一方、現状維持では腐女子が優位です。太古の狩りの記憶から、単独行動・闘争本能をもつ男は孤独を好み孤立化しやすく、時が経つほど悪化する。それに比べ女はある程度いくと女性専用マンションなんかに住んで、本能的に労せず女性同士のネットワークをつくり、行動も常に2人以上と、老後のグループホームのような生活を始めている。
おたくも見習うべきだ。男も共通の敵・大きな獲物を得る目的のためには協力しあえるはず。それこそおたくとして天寿をまっとうするためにグループ化したり、サークルをつくり、緩やかな共同体にするのはどうだろう?別に全ての趣味を理解した親友である必要はないし・・・・「シャングリ・ラ」のアキバのじじい共を連想してしまうのもなんだが・・・
ISBN-13: 9784121502148
▼目次(「性愛」格差論 萌えとモテの間で)
はじめに 性愛、この平等に不平等なもの 斎藤環 p.3
もくじ p.24
第1章「負け犬」―非婚は不幸なのか p.27
負け犬とひきこもり/強い女はなぜモテない/集団を楽しむ女と一人で満足な男/孤独なニート/「勝ち犬」が幸せか?/「おばさん」の力/少子化対策の難しさ/母娘の関係/韓国との共通点/母親の結婚観が影響する/通い婚のすすめ/言い訳ができない時代/ケータイの罪
第2章「おたく」―萌える男たちの心理とは? p.77
「萌え」とは何か/『電車男』は母性愛/『電車男』と『電波男』/バブルのルサンチマン/負け犬のおたく蔑視/性的弱者としてのおたく
第3章「ヤンキー」―語られざる一大文化 p.105
ヤンキーは一大文化/女医と看護師/私たちの「内なるヤンキー性」/ヤンキーの美意識/ヤンキーとファンシー/ヤンキーの底力
第4章「腐女子」―異性と番(つが)うよりも同性で p.131
乙女カフェ/女子高生という「価値」/「おたく」の誕生/やおいは何でもあり/腐女子の性生活/女性二人は「向かうところ敵なし」/カップル文化がない理由/恋愛は異文化交流
終章「負け」を生き抜く―九〇年代以降の流れの中で p.165
「ちやほや病」/趣味と格差/世間の微妙さ/「負け」を認める感性/女性たちが「処女宣言」する日/不景気になってほっとした/カミングアウトという作法/終末論すらない/あえて、近視眼になってみる/女子はどうする?
注釈 p.201
おわりに “離島”に暮らす私たち 酒井順子 p.215
奥付 p.223