「赤毛のアン」や「ハイジ」のいた風景
44歳の若さで亡くなったアニメーター井岡雅宏の画集。
井岡雅宏画集「赤毛のアン」や「ハイジ」のいた風景 (ジブリTHE ARTシリーズ)
画集なんだけど残っている原画が少なく、フィルムから起こしている絵で埋めていたりする。美術ボード59点、着彩美術設定8点、美術設定147点。高畑勲の寄稿文、宮崎駿ほかのインタビューから井岡雅宏の人となりを知ることができる。
それまでの余白を埋めるだけのテレビアニメ背景を「アルプスの少女ハイジ」で自然豊かな情景を伝えるまでに高めた。宮崎監督にして(ハイジよりも)「草原の少女ローラ」の自然描写が最高だったと。
簡単にいってしまうと小林七郎→男鹿和雄→小倉宏昌の背景美術の他に、もう一つ系統があったかも知れないということ。空気感や陰影などのリアル路線の他に、高畑監督の例えでいうなら印象派ゴッホのような色彩表現豊かな背景画の系統があったかもしれない。とするなら、少女漫画のアニメ化でやたら薄い色の白い背景を色彩豊かな印象画で満たすことができたかも・・・
生きていれば宮崎駿と同い年、「いい奴は、死んだ奴らさ」のフレーズが思い浮かぶ。
■井岡雅宏(Wikipedia)
▼目次(井岡雅宏画集「赤毛のアン」や「ハイジ」のいた風景)
もくじ p.3
わたしの知る井岡さんの画業 高畑 勲 p.4-p.8
赤毛のアン
美術ボード p.10
背景 p.36
アルプスの少女ハイジ
背景 p.40
太陽の王子ホルスの大冒険
フィルム p.48
みつばちマーヤの冒険
フィルム p.50
草原の少女ローラ
フィルム p.51
ふしぎな島のフローネ
美術ボード p.52
着彩美術設定 p.58
アルプス物語・わたしのアンネット
美術ボード p.60
インタビュー
□さまざまな才能と出会い個性を伸ばした東映時代
土田 勇 p.66
□人の暮らしや自然の移り変わりを見つめた美術
阿部泰三郎 p.67
□私の先生
保田道世 p.68
□井岡さんは美術としてプロ中のプロでした
松土隆二 p.69
美術設定集
あらいぐまラスカル p.70
ふしぎな島のフローネ p.74
アルプス物語・わたしのアンネット p.94
心残り 宮崎 駿 p.97-p.101
井岡雅宏フィルモグラフィー p.102
奥付 p.104
巻末のフィルモグラフィーでは「わたしのアンネット」放送開始(1983/1/9~)前に、日本アニメーションを退社(1982年末頃)その後、パンメディアに入社(1983年)して「オズの魔法使い」初期設定制作が最後になっている。体が限界だったんでしょう。
高畑勲監督の追悼文では「赤毛のアン」(1979年)でいっしょだった時に、すでにアルコール依存症の認識があったようで・・今でこそ依存症は誰かがきちんと治療させなきゃいけない病気とわかっているけど、当時はそこまでする人は居なっかたようです。